パパというネコがいました。
元々は代診の時に働いていた病院のネコでした。
単に病院の愛玩ネコでもあったのですが、供血猫でもあり、輸血が必要な時には多くの猫の生命を助けました。
パパは一見、厳つい顔をして怖そう...と思われがちなのですが、何をされても怒らないヌイグルミのような猫でした。
ちなみに種類は ヒマラヤンという長毛の、ブルーの眼をした愛嬌のある容姿でした。
写真ではパパの良さは伝わらないのですが、とにかく性格が、のんびりしていてマイペース、そして人懐っこい。
(日向ぼっこ中、寝起きの無愛想なパパ)
そんなパパは、約18年、病院猫として生活していました。猫の18才は、かなり高齢です。しかし4,5年程前から腎臓を悪くし、薬と点滴をしながらの生活でした。
余生はのんびりと生活をさせてあげたいとのスタッフ皆の意見と、自分によくなついていた事もあり、パパは僕の部屋で生活する事となりました。当初、慣れない環境での生活はどうかとも考えましたが、思いのほか順応してくれました。
自宅に来る初日、病院から自宅までの京王線の電車内では、皆が振り返るような大きな声で(もともと鳴き声はかなり大きいのですが...)鳴いていました。
病院で飼い始めてから病院外の空気を吸うのはおそらく18年ぶり、、、すべてのものに驚いていたはずです。しかもその日は年末で気温も低く、キャリーケージを暖かくはしたものの、大丈夫だろうかと、とても心配でした。
自宅に着き、キャリーから出たパパは、部屋中のものに興味を示し、あらゆる場所のにおいを嗅ぎ廻っていました。用意しておいたトイレにすんなり入ったものの、狭い場所での生活が当たり前だったパパには部屋のスペースは落ち着かなかったようでした。結局、小さな箱を用意したらその中で落ち着いてしまいました(以前から病院でも一番のお気に入りの場所は洗濯かごの中でした...)
自宅に来た時点で、腎不全の程度はかなり進んでいたので、あくまでパパの自由に、本人のストレス、負担にならないような治療は自宅で続けることが目的でした。
ベランダへは自由に行けるようにしていたのですが、初めは少し戸惑っていたようでした。日々の経過とともに生活には徐々に慣れ、天気がいいと自分でベランダに出て、日光浴をするようにまでなりました。
部屋は2階なので外の猫とはもちろん接触できませんが、野良猫が下を歩いていたりすると、気になってずっと猫がいなくなるまでベランダで見下ろしていました。
(雲間から光が射した瞬間、そちらを見上げたパパ)
そんなパパも、皆に愛されながら、昨年の6月半ばに天国に行きました。今でも桜の時期になると、部屋の前にあった桜の花びらが、ベランダにいたパパの背中によく付いてたのを思い出します。
ペットが僕達に与えてくれるものは、本当にかけがえの無いものです。
僕達より短い一生を送るペット達ですが、いかに意味のある生活を一緒に過ごせたか?という事が大切なのだと思います。
ペットの一生の最後に、自分達が本当に感謝できたのならば、きっとペット達も同じように思っているのではないでしょうか?